弁護士 深澤諭史のブログ

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タグ:刑事弁護

『上級国民だから逮捕されない』は弁護士から見ても本当と思う理由」については、非常にたくさんの方々にお読みいただけました。
この件が、そんなに注目を集めたのは、逮捕と勾留は処罰ではないにもかかわらず、実際にそのように機能していること、そして実際に処罰であると誤解されていること、さらに、逮捕勾留の判断にあたっては、犯罪の内容以外の考慮要素が大きい、つまり、より重い罪を犯した人が逮捕勾留されず、より軽い罪を犯した人が逮捕勾留されることもある、ということが、影響しているのではないかと思います。

ここでは、できる限りわかりやすく、厳密な正確性よりわかりやすさを重視して、それぞれの制度を解説します。

身柄拘束と刑事司法:手段でも目的でもある

刑事司法においては、身柄の拘束は、目的でもありますし、手段でもあります
つまり、刑事司法の目的に、真犯人に刑罰を科すというものがあります。その刑罰はいろいろありますが、メインは懲役刑や禁錮刑です。
これらは、刑事施設に収容して自由を奪うので自由刑といわれます。
身柄を拘束して自由を奪うというのは、近代国家では、一般的な刑事罰です(かつて近代国家以前は、体に傷をつける鞭打ちなどの身体刑とか、生命を奪う斬首刑といった生命刑など、野蛮な刑罰が行われていた時代もありました。)。
懲役刑などは、確定した判決に基づき、刑罰として自由を奪う制度です

一方で、逮捕と勾留という制度は、どちらも身柄を拘束しますが、刑罰ではありません懲役や禁錮は刑罰であり、自由を奪うことが目的です。
ですが、逮捕と勾留は、自由を奪いますが、それは目的ではありません。手段です。
目的は証拠の隠滅や逃亡の防止であり、その手段として自由を奪う、これが逮捕と勾留という制度です。

自由を奪うということは同じなのに、懲役刑や禁錮刑は、自由を奪うのが目的であり、手段でもあります。ですが、逮捕と勾留では、自由を奪うのは手段であり、目的は別(証拠隠滅と逃亡防止)です。

ですから、混同されやすく、なぜ、これが逮捕されて、これはされないのか、あるいはその逆ではないか、という疑問が起きるのです。

逮捕とは何か

逮捕というのは、一時的な身柄の拘束で、その期間上限は原則として72時間です。
逮捕には3種類あります。いわゆる逮捕令状を求めて逮捕する通常逮捕、現行犯人を令状なしで逮捕する現行犯逮捕、一部の例外として、逮捕後に令状を求める緊急逮捕、というものです。
現行犯逮捕の要件は現に犯罪を行い、あるいは行い終わっていること(さらに準現行犯というものもありますが、省略します。)です。
緊急逮捕の要件は、一定の重罪であり、嫌疑が充分で、しかも逮捕状を求める時間のないことです。この場合、事後に逮捕状を請求しないといけません。
通常逮捕の要件は、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由が必要です。ただし、明らかに逮捕の必要がなければ逮捕できません
罪を犯したと疑うに足りる相当な理由とは、犯罪をしたという疑いがあるということですが、有罪判決のような高度な確信までは、要求されません

すごく大雑把にまとめると、とにかく逮捕では、犯罪の相当な嫌疑が必要であり、それで足りるということになっています。ただ、明らかに逮捕の必要がなければ、することはできません。明らかに必要がないとは、いろいろ考慮要素がありますが、やはり、証拠隠滅や逃亡の可能性が考慮されます。

また、実際問題として、逮捕するかどうかの判断にあたっては、(現行犯逮捕でその場で鎮圧する必要があるとか、そういうものを除けば)基本的にその後に勾留ができるかどうかが考慮されます。そういう意味で、次に解説する勾留の要件と類似しているが、それよりも軽め、ということができます。

勾留とは何か

勾留とは、逮捕よりも継続的な身柄の拘束で、起訴前つまり裁判前の勾留と、起訴後つまり裁判中の勾留があります
起訴前勾留は、原則は10日間ですが、20日間まで延長できます(さらに例外もありますが、省略します。)。
起訴後勾留は、起訴から2ヶ月間が原則で、1ヶ月単位で更新でき、更新の上限はありません。
勾留の要件は、罪を犯したとを疑うに足りる相当な理由、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由、逃亡したか又は逃亡をすると疑うに足りる相当な理由、住居不定です。
以上の要件の関係は、罪をおかしたことを疑うに足りる相当な理由は必須であり、残り3つはどれか1つで足ります。

禁錮刑、懲役刑とは何か

これらは刑罰です。どちらも刑事施設に収容されます。
懲役刑は、さらに、所定の刑務作業に従事させられます。
その要件は、確定した有罪判決です。
では、有罪判決の要件は、何でしょうか。それは、「犯罪事実について合理的な疑いを超える程度の確信」があり、かつ、それが、刑事裁判手続きで適法に認定されること、です。

まとめ

以上をまとめると、逮捕や勾留については、犯罪事実については相当な疑い程度で大丈夫であるし、正式な裁判手続を経て認定する必要もないが、その代わりに、証拠隠滅や逃亡について相当な疑いが必要である、ということになります。

一方で、禁錮刑や懲役刑については、同じく身柄が拘束されますが、要件が異なり、確定した有罪判決が必要であり、そのためには「犯罪事実について合理的な疑いを超える程度の確信」が必要であり、しかも、それは、正式な刑事裁判手続きで適法に認定されたものでなければいけません。一方で、それさえあれば、証拠隠滅や逃亡の可能性を問わずに行う(執行する)ことができます

ですから、犯罪事実としては全く同じことをやったとしても、その被疑者の属性から、証拠隠滅や逃亡の可能性についての事情が異なれば、逮捕勾留についての結論も大きく変わります
特に、逮捕勾留の要件である逃亡や証拠隠滅については、犯罪事実そのものだけではなく、周辺事情、本人の属性、さらに、事後の行動も考慮されます
これらは、疑われている犯罪事実そのものよりも、報道は断片的であったり、されなかったりします。さらに非常に不正確であることも多いです(私も、担当事件について、180度違う事情を報道されたことがあります。)。

ですから、報道を見ていると、「なんであいつが逮捕されて、こいつがされないんだ!」と思われることもあるというわけです。そして、それは、報道ベースだけで判断すれば、避けることが難しい誤解であるといえます。

前回前々回の記事に、かなり質問が寄せられました。
質問を踏まえまして、解説を追加します。

おさらい
  • 逮捕勾留は処罰ではなくて、証拠隠滅や逃亡の防止のために行われる。
  • 上級国民は逃亡や証拠隠滅で失うものが大きい(とされる)ので、あえてしないという期待がある。
  • したがって、逮捕勾留はされにくいという傾向がある。
  • 他に、過失犯は法定刑が軽いなどの他の要因も組み合わさっている。
  • もう少し実質的に逃亡や証拠隠滅の現実的可能性を判断して逮捕勾留に慎重になるべきという意見がある

上級国民は逮捕勾留で有利でこれは超重要

犯罪を犯しても、特に初犯で刑務所に行くということは、なかなかありません。
通常は、罰金刑ないし執行猶予付き懲役刑、ということになります。
そうなると、被疑者(拘束の有無を問わず犯罪の嫌疑をかけられている人)・被告人(起訴されて刑事裁判の当事者になっている人)にとって、刑事裁判における一番の苦痛、負担というのは、判決そのものではなくて、その前の逮捕勾留ということになります
拘束されるだけでも大変な苦痛ですが、それで職業を失う、学校を留年するなどの負担も課せられることもあり得ます。
この一番の苦痛、負担を負わずに済むということは、とても重要であるといえます。

逮捕勾留を免れるということはその後の裁判でも有利

逮捕勾留されないということは、その後の裁判を有利に進めるためにも非常に重要で有利なことです。
認めている事件であろうと、なかろうと、刑事裁判には相当の準備が必要です。
弁護人がいるといっても、方針の最後の決定は被告人本人がしますし、事件について一番詳しいのは被疑者、被告人です。
そうすると、被疑者、被告人と弁護人とは打ち合わせを重ねる必要があります。
拘束されていると、弁護人は、一々、留置場や拘置所に赴く必要がありますが、釈放されていればそういう必要はありません。電子メールなどを駆使することもできます。
こういうと語弊がありますが、あえていえば、「上級国民は刑事裁判でも有利」といえてしまうと思います。

上級国民は保釈でも有利:制度の説明

上級国民といえども、逮捕勾留されることはあります。
ここで、保釈について少し説明します。かなり大雑把にいうと、刑事事件の手続きは、次のような流れで進みます。
  1. 捜査が行われる。
  2. 逮捕され、その後に勾留される。捜査も並行して続く。
  3. (起訴前の)勾留は最大20日間まで。
  4. 検察官が起訴(裁判所に訴え出ること)する。そして、その時点での勾留中の場合は、3の制限が外れて裁判が終わるまで勾留ができる。
  5. 裁判が始まり、判決が出る。
かなり乱暴なまとめですが、このような流れになります。
要するに、裁判が始まる前の勾留は20日間が上限で、その期間中に起訴をしないといけない、起訴すれば、その期間制限が外れて勾留を続けられる、ということです。

そのかわり、「保釈」という制度があります。ポイントは、保釈は起訴後つまり裁判にならないとできない、ということです。要するに、起訴後勾留は20日間制限がないので、そのかわりに、保釈制度がある、ということです。

保釈は、これも大雑把にいうと、保釈保証金というお金を裁判所に納めることと引き換えに釈放してもらう、ただし、色々と条件がつき、それに違反する保釈金が没取(ぼっしゅ。とられること。)されるというものです。要するに、お金を担保に釈放してもらう制度です。担保ですので、違反をせずに裁判が終われば、保釈金は返還されます。
もちろん、証拠隠滅の可能性が高いなどの場合は、認められないこともあります。

また、保釈金の金額は、逃亡の抑止になるよう、被告人の財産などを考慮して決定されます。

上級国民は保釈でも有利:その理由

上級国民は、証拠隠滅の可能性が低いと評価されやすいという話をしました。

保釈の許可においてもこれは考慮されますので、上級国民は、保釈されやすく、つまり保釈でも有利ということになります。

それだけではありません。上級国民には財産がありますから、保釈金の用意においても有利です。せっかく保釈が許可されても保釈金が用意できなければ、保釈はされません。
上級国民は財産がありますので、保釈金の用意も可能でしょう。もちろん、財産状態も考慮されますので、上級国民の保釈金は高額になるでしょうが、問題なく過ごせば、全額返還されますので、大きな問題ではありません。

そして、逆に財産がない(上級国民ではない。)と保釈は難しくなります。先程、保釈金は財産状況も考慮されると説明しました。
そうなると、財産がないのであれば、保釈金も安くなるので大丈夫そうに思えます。
しかし、実際にはそうではありません。法律上、保釈金には上限も下限もありません。実際にも保釈金には上限はありません。ですが、下限はあり、概ね150万円程度となっています(もっとも、これより安い例に接したことはあります。)。
今日日、150万円を現金で用意出来る人は限られているでしょう。保釈においても、上級国民は一般国民より有利であるといえます

なお、保釈金については、立て替えを受ける方法もありますが、「手数料」が必要になります。

上級国民は判決でも有利

上級国民は判決でも有利です
すなわち、すでに見てきたように、釈放されているというのは、裁判準備において有利です。
準備が十分にできれば、裁判でも有利になります。

また、量刑(刑の重さのこと。あるいは、刑の重さを決めること。)においても有利です。

事件により、失職する、資格を失うなど、それまでの地位と立場を失うことがあることは、上級国民であってもなくてもかわりありません(しかし、逮捕勾留されないことで、それを免れる上級国民も多いかもしれません。)。

ですが、上級国民は、それまでの地位が高いので「失うものが大きい」です。そうなると、量刑においても、「失職するなど社会的制裁を受けている」などということで、有利な量刑を得ることができます

また、財産があれば、被害弁償をして示談をすることも可能になりますし、これはかなり有利な情状となります。

事実を争う事件においても、調査や鑑定のために十分なコストを費やすことができ、その点でも上級国民は有利です

上級国民は自分や家族で弁護人をつけることができるので有利

国選弁護という制度があり、お金がなくても弁護人をつけることは可能です
しかし、国選弁護は、自分でどの弁護士がいいとか選ぶことは、基本的にできません。
また、裁判前かつ身柄拘束されていない場合には、国選弁護はつきません(なお、未だに起訴後でないと国選弁護がつかないとか、「原則として起訴後」というような解説がありますが、不正確だと思います。)。

弁護士費用を用意できる上級国民であれば、自分や家族が、自分の希望や方針に合致した弁護士を選ぶことができます。これは大きな強みと言えるでしょう。

もちろん、国選弁護だから弁護の質が低いというわけではありません。国選弁護人も私選弁護人と同じ権限、そして責任を負います

しかしながら、国選弁護は十分な報酬が支給されていないだけではなく、コピー代等実費すら十分に出ません。一面において、弁護士が頑張れば頑張るほど損をする、弁護士の心を全力で折りにいくという逆インセンティブ報酬制と評価できるような制度が採用されています。もちろん、それでもほとんどの弁護士は熱心に弁護士しますし、赤字になることも厭いません(私もそういう経験があります。)。
ただ、弁護士の自己犠牲の良心に頼り切った制度であり、さらに弁護士が選べない(つまり信頼関係が作れないリスクもある。)ことも相まって、不安を感じてしまうのはやむを得ない面もあると思います。

なお、私選弁護人をつけている、ということは、逃亡や証拠隠滅の可能性を減じる事情にもなりえます。
これは、自分で選んだ弁護士であるから弁護士との高度の信頼関係と弁護士による監督が期待できるためです(もっとも、これには反対意見も多いと思います。)。
また、わざわざお金を出して弁護士をつけておいて、逃亡したりはしないだろう、ということも、常識的に考えられることです。

実際に、私の経験上も、時効間近の法定刑の重い犯罪について私選弁護人が2名というケースで、裁判所が、弁護人をつけていることを指摘して勾留を認めなかった事例や、弁護人の監督を理由(条件)に保釈を許可してもらった事例があります。

やっぱりこれは大問題

以上、いろいろと解説してきましたが、由々しき事態であるとおもっています。
以前の記事でも解説しましたが、逮捕勾留の判断にあたっては、もっと実質的に、現実的な逃亡の可能性、証拠隠滅の可能性を検討するべきですし、保釈においても同様です(そもそも、保釈されて逃亡や証拠隠滅で保釈金が没取されたケースは稀です。)。特に、保釈金の下限については、検討の余地は大いにあると思います。

要するに、上級国民に対する対応が、不十分とはいえ、本来の刑事裁判、刑事司法に近づいているだけであって、真に問題にすべきは、市民全体に対する扱いです。

さらに、国選弁護においても、少なくとも労力比例、そして実費はしっかりと出るような制度改革は喫緊の課題であると思います。
経済的事情で、刑事司法が、ひいては正義が左右されることがあってはなりません

なお、私たち弁護士は、以上について手をこまねいているわけではなく、日本中の弁護士が出し合ったお金で、無料で逮捕直後に弁護士を呼べる「当番弁護士制度」や、刑事被疑者弁護報酬の支援、再審の支援などもおこなっています。弁護士全体が、莫大な費用と労力を費やして、刑事司法の改善に努力を続けています。
かつては、国選弁護人は、裁判が始まるまでつかなかった(したがって、裁判が始まるまで、漫然と身柄の拘束が続けられてしまう結果、不利な調書が作られるなど、冤罪の温床にもなりかねない状態になっていました。)時代もありました。ですが、以上の弁護士会の活動も功を奏し、今日では裁判前でも国選弁護人がつくようになりました。

前回の「「上級国民だから逮捕されない」は弁護士から見ても本当と思う理由」については、多くの方に読んでいただきました。
また、いくつかご質問、疑問も頂戴しました。
*裁判に関する解説も追加しました→ 「『上級国民』は刑事裁判で有利」と弁護士が思う理由

SNS等の削除という事情

いろいろとありますが、特に多かったのは、これはあくまで報道ベースの話にすぎませんが、「事故直後にSNS等の削除を依頼していたのだから、証拠隠滅をしているのではないか。だから、証拠隠滅を疑うに足りる相当な理由はあるのではないか。」というものです。

この点について、やはり釈然としない、というのは健全な市民感情として、もっともな話だと思いますので、すこし説明を付加したいと思います。

それでも、これらの事実を逮捕勾留の理由にすることは難しい

一見ごもっともな話ですが、実は、これは、

①逮捕や勾留の理由になるような証拠隠滅にはあたらないし、

②また、SNS以外にも証拠隠滅の可能性はなさそう、

ということで、やはり逮捕勾留の理由とすることは、難しいのではないか、と思います。

順を追って説明しましょう。

罪証隠滅の「証拠」とは?

逮捕勾留の理由としての証拠隠滅は、もっと正確に言えば罪証隠滅、つまり、あらゆるなんらかの証拠という意味ではなくて、犯罪に関する証拠に限定されます。
この犯罪に関する証拠というのは、たとえば殺人事件であれば、凶器であるとか、血のついた着衣、遺体、また、被害者と被疑者との関係を知る人の供述とか、そういったものがあります。
また、それだけではなく、犯罪の証明に直接必要ではないが、情状つまり、被害者が従前、被疑者に暴力を振るっていて、命に関わる暴行もされていたとか、そういう事情も含まれます

SNS等の削除は、罪証隠滅といいにくい(①)

証拠の問題を交通事故について考えてみると、次のような証拠が想定されます。
すなわち、①加害車両、②被害車両・被害者の状況、③現場の遺留物、それに④ドライブレコーダーがあればそれ、⑤目撃者の目撃供述、さらに⑥周囲の監視カメラの映像も重要な証拠でしょう。⑦実況見分調書なども大事です
また、⑧被疑者の過去の運転歴、違反歴、⑨任意保険の加入条件、高齢であれば⑩健康状態に関する資料(カルテ)も大事でしょう。

これらは、いずれも、過失運転致死傷の罪体(犯罪の本体)や情状に関する重要な証拠です。

一方で、SNSに、たとえば事件が飲酒運転であり、その直前に「ビール5杯飲みました!」などと投稿をしているのであれば別格、普段の日記などであれば、犯罪とはなんらの関係もありません。犯罪の情状にも関係がありません。メディアの中には、被疑者の「人となり」を知るためにSNSを調べる傾向がありますが、それは、犯罪の成否、軽重にかかわるものではありません。
SNSの内容で、犯罪になったりならなかったり、あるいは、軽くなったり重たくなったりすることは、通常はあまり考えられません。

ですから、犯罪の証拠ではないから、罪証隠滅ではない、だからこそ、逮捕勾留の理由にすることは難しいのではないか、と思います。

SNS以外の証拠も隠滅し難い(②)

さらに、「SNS等の削除が証拠隠滅ではないとしても、何かを消したことに間違いはない。そうなると、やはり犯罪の証拠も削除するのではないか?そう疑うべきではないか?」という意見もあり得ます。

ですが、本件では、そもそも証拠隠滅それ自体が困難です。
先程、いくつか証拠を列挙しました。①②③④は、いずれも直ちに捜査機関が確保しています。まさか被疑者が警察に忍び込んで廃棄するなんてことは、現実的に無理でしょう。
さらに、⑤についていえば、周囲の目撃者は顔見知りではないでしょうし、どこの誰かわからない全員について、いちいち口裏わせを依頼することも無理というほかありません。
⑥もじきに確保されますし、被疑者がその存否をすべて把握することも不可能です。⑦は警察が作成して保存しますので、同じく手を触れることもできません。
⑧⑨⑩は関係機関に問い合わせればわかりますし、これを書き換えることも現実的ではありません。
つまり、本件に限りませんが、事案によるとはいえ、一般的に交通事故は、証拠隠滅が非常に難しい事件(違反者のなりすまし、飲酒運転などは除くとして)です。
この点からも、逮捕勾留をしない理由になります

なぜ、SNS等の削除がこんなに問題視されたのか

これは、証拠隠滅の文脈というより、通常、事件の被疑者は、SNSをはじめとするプライベートの資料がメディアにより公開されて、「人となり(!)」を大きく報道される傾向があります。
私はこれ自体、とても賛同できないのですが、これが一種の制裁になっていることは、間違いないでしょう。
つまり、今回、報道によれば疑われている行為があり、それで一つの制裁手段がなくなって、そして、メインの制裁である逮捕勾留もされていない、ということで、世間の一部からの反感をより強く買ってしまった、つまり「普段の制裁はなぜないのか!できないのか!」ということになってしまったのではないか、と思います。

ただ、以上の事情は、いわゆる「上級国民」と言われる人でなくても同じことです。ですから、本来の慎重な対応で、なぜ統一できないのか、そういう疑問は残ると思います。
そして、これは、大きな問題だと思っています。


*裁判についての解説も追加しました→「『上級国民』は刑事裁判で有利」と弁護士が思う理由
立て続けに、大きな交通事故がおきました。

その交通事故をめぐって、あの人は逮捕されたのに、この人は逮捕されないのはなぜか、それは上級国民だからではないか、などという議論が、ネットで巻き起こっています。

この上級国民というのは、ネット上のスラングの一種です。高級公務員や大企業の重役、あるいは、政権の関係者、それらの経験者など、とにかく偉い人で、特別扱いを受けるべき人、という程度の意味だそうです。
さて、上級国民といわれるような方々は、本当に逮捕されない、あるいは、普通だったら逮捕されるのに、上級国民だと逮捕を避けられるとか、そういったことがあるのでしょうか。

これについてですが、誤解を恐れずに、でも、はっきりと申し上げると、「上級国民は逮捕されにくい」という事は間違いなくいえると思います。

それは、どういう理由からでしょうか。

逮捕やそれに続く勾留(両者は別物ですが、解説すると長くなるので、一括して説明します。)という手続き・身体拘束は、懲役刑など、刑罰としての拘束とは異なります。
逮捕や勾留は、有罪判決の確定前に行われているのであり、決して刑罰ではありません。

逮捕や勾留は、捜査の適正の確保のため、あるいは裁判の維持のため、あるいは判決後の刑の執行の確保のために行われるものです。

これは、どういうことかというと、例えば、被疑者(犯罪の嫌疑を受けている人をいい、逮捕の有無は問いません。)が逃亡してしまった場合には、裁判にかけるという事はできません。
また、判決が出ても、刑を執行するということができません。さらに、そもそも裁判を開くこともできなくなってしまいます。

さらに被疑者が、関係者と口裏合わせをしたり、証拠品を廃棄したりなどすると、これまた、捜査は適正に行えませんし、真実も発見できず、適正な裁判を行うことも難しくなります。
逮捕や勾留は、このような弊害を避けるために、被疑者に、犯罪の疑いがあることを前提として、証拠隠滅したり、逃亡するような危険がある場合に限り認められます
正確には、これらの疑いには、そう疑うに足りる相当な理由、というレベルの根拠が必要であるとされています。

そして、証拠隠滅や逃亡の可能性というのは、理論上は犯罪の疑いとは別の概念です。

犯罪をしたというのは間違いなく認定できたとしても、逃亡や、証拠隠滅の可能性がなさそうであれば、逮捕勾留されないこともあります。また、犯罪をしたという事について、確信がもてない場合であっても、逃亡や証拠隠滅をする可能性が高い、というケースでは、逮捕勾留が認められやすくなります。

以上を前提に、上級国民について、考えています。

上級国民は、通常、職業や、住居がしっかりしている、また、財産もあるでしょう。ですから、それらを全部なげうって逃亡するという事はなかなか考えにくいです。そうすると、逃亡する可能性はほとんどないという判断に結びつくでしょう。

また、上級国民といえども、証拠隠滅をすれば身柄を拘束されることになります。そうなると、そんなリスクを冒して証拠隠滅をする可能性もない、ということになるでしょう。
上級国民は、身体拘束で失うものが大きいので、そんなリスクを無視して、証拠隠滅には及ばない、ということです。

さらに、上級国民は、前科や前歴もなく、証拠隠滅をそそのかすような組織、団体との関わりもないでしょう。
加えて、上級国民は、殺人や放火など、法律上、重たい法定刑が定められている犯罪を犯す、疑いをかけられることは稀であり、通常は、過失犯など法定刑がそこまで重くない犯罪が中心になります。
そうなると、20年、30年の服役の可能性があるのであれば別格、執行猶予の可能性が高い、実刑になっても、2、3年というのであれば、情状が悪くなる、身体拘束される、あるいは終わりのない不自由な逃亡生活を覚悟して逃亡し、証拠隠滅をする可能性は、ますます下がります。

そういうわけで、上級国民という身分(そんなものがあるわけではないですが)そのものに着目をしているというわけではありませんが、結果的に、上級国民の持つような属性が、逮捕勾留を否定するような事情になっている、ということがいえると思います。

以上乱暴にまとめてしまうと、上級国民だと逮捕されにくいというのは、一応は真実であるといえると思います。

もっとも、私としては、このような取り扱いが、妥当であると思いません。

上級国民は逃亡したら失うものが大きいから逃亡するという事はなかなか考えにくい、とはいえるかもしれませんが、それは、上級国民に限りません。
上級国民の持つ高い地位、生活など「だけを」特別扱いして、そうでない人の立場を軽視するような判断は、あまり賛成できるものではありません。

これは、上級国民「も」逮捕しろ、ということではありません。上級国民でなくても、しっかりと逃亡や証拠隠滅の現実的な可能性、相当な理由を確実な資料から認定し、そうでないなら、「一般国民」も逮捕勾留するべきではない、ということです。上級国民でない人々にも、かけがえのない生活があることには変わりありません。

今回、このような疑問が湧き上がったのは、市民の認識としては、悪いことをしたから逮捕勾留されるという認識が強い一方で、法律上は、それだけでは足りず、証拠隠滅や逃亡の可能性が審理されるということ、そして、いわゆる上級国民といわれる方々については、犯罪の内容や身分・地位から、逃亡や証拠隠滅のリスクが比較的低いと判断されやすい、こういう、認識のギャップというか、食い違いが、誤解を生んだのではないか、と思います。


はじめに

認識していなかったから無罪という事件(話題)が、最近相次いで話題になっています。

客観的には確かに犯罪に当たる行為をしたにもかかわらず、その人に認識がないということで、無罪になる、これについては、一般の市民からは疑問の声がたくさん上がっています

そして、それは自然な感情であるといえるでしょう。

ただ、科学においては自然な感情による判断と、実際の科学的な判断、真実が一致しないことは多くあります。

そして同様に、法学、法律、法制度についても、同じことがいえます。自然な感情には反していても、よくよく検討してみると、それが合理的であり、正義にかなう、ということも実は多くあります。

そして、この「認識」すなわち「故意」の問題についても、同じことがいえます。

ここでは犯罪について、なぜ認識がないと処罰されないのが原則なのか、そして、認識がある(=故意がある。)とは一体どういうことで、どういう認定をするのか、という事についてお話ししたいと思います。

犯罪の基本:刑法に定めがある

まず、基本ですが、犯罪というのは、刑法に定められています。「刑法」という法律のほか、いろいろな特別法(ここでは、単にまとめて「刑法」といいます。)で犯罪が定義され、また刑罰が定められています。

法律に定められていない限り、犯罪ではありませんし、また、犯罪でも定められた刑罰以外の刑罰を科せられることありません。これを罪刑法定主義と言います。

認識つまり故意が必要ということも刑法に定めがある

そして、認識がないと犯罪にならないのが原則、ということについては、ちゃんと法律の定めがあります

刑法第38条には、次のように書かれています。

○刑法第38条1項 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。

ここでいう、「罪を犯す意思」というのは、犯罪を行っているという認識、つまり故意のことをいいます。

また、「特別の規定」があればこの限りではない、とありますが、これは、例えば、自動車運転過失致死傷など、わざとでなくても不注意で処罰をする、これを過失犯といいますが、そういう規定を予定しているというものです。

故意犯処罰の原則とその帰結

このように故意の犯罪、つまり故意犯だけを処罰することが原則であることを、故意犯処罰の原則といいます。

この規定の帰結として、例えば、殺人罪で罰するためには客観的に人を殺したというだけではなく、人を殺すという意思つまり故意が必要です。あるいは、これは窃盗罪についてもいえますが、窃盗罪で処罰するためには、人のものを盗むという意思が必要です。

例えば、マネキンだと思って包丁で突き刺したんだけれどもそのマネキンが、本当は人間だった場合には、殺人罪で処罰することはできません

同様に、「ご自由におとり下さい」という事で、自由に持っていっていいものだと勘違いして、実はそうではなかった場合にも、窃盗罪で処罰することができません。

このように、認識のあるなしで、犯罪になるかならないか、あるいは、その重さが大きく変わります。

自動車の運転で、人を引き殺してしまった場合、わざとやれば最高で死刑もありますが、そうでなければ、不注意ということであれば最高で7年の懲役ということになります。

故意犯処罰の原則は、刑法の役割からして当然のこと

では、なぜこのように、大きな違いが生じるのでしょうか。実はそれは、刑法の目的からして、当然のことなのです。

刑法の役割は、大きく2つあります。1つは、法益を守ると言う役割です。法益というのは、法律によって守られるべき権利、利益といった意味です。例えば殺人罪であれば人の命を守るために存在します。

これはどういうことかと言うと、犯罪を犯すと処罰されます。処罰を受けたくないのであれば、犯罪をしないということになります。要するに、刑罰によって人を警告しあるいは威嚇して、犯罪から遠ざけようとする機能が刑法にはあるのです

次に、自由を保障するという機能も刑法にはあります。

最初に、刑法(なお、特別法含むのは上記の通りです。)で定められていなければ犯罪にならない、ということをお話ししました。

これは逆に言えば、刑法で書いていなければ、少なくとも犯罪にはならない(民事上の賠償責任とか、行政処分はあり得ます。)、という意味で、その範囲で自由が保障されるということがいえます。

自由な社会とその発展のためには、自由が保障されていることが重要です。

したがって刑法は、定められていない部分において、自由を守るという機能を持っています。

そして、この2つの機能からすれば、認識がない行為、つまり故意がない行為を処罰するというのは、意味がないし、むしろ有害である、ということがいえます。

なぜ、故意犯処罰の原則が刑法の機能から当然といえるのか

最初に、法益を守る機能の視点から考えています。

そもそも刑法は、刑罰を予告して警告して、威嚇して犯罪から遠ざけようとするものです。

これは、例えば立入禁止の立て札のようなものです。

実際に立入禁止かどうかは、地面の色が変わっているわけでもなければ、わかりません。

しかし、立て札があることで、そしてそれを現に見ることで、ここに入ってはいけないということが認識できます。

つまり人間は、当たり前のことですが、禁止されているということを認識していなければ、それを守ることができないのです

別の例として、他人に荷物を運ぶことを依頼されたとしましょう。

これが、例えば覚醒剤であるとか、特殊詐欺の被害品であるとか、あるいは爆弾であれば、罪に問われることになります。

もしそれを知っていれば、処罰されないために、それを断ると言うことになります

一方で、それを知らなければ、断るというところまで、考えが及びません。つまり、認識のない行為を処罰したところで、人間は、そういう行為を回避するようにならない(つまり、刑罰の威嚇がきかない。)ので、意味がないのです。

自由を保障する機能という点から見ても、同じことがいえます。

自分が認識していない、あずかり知らないところで、自分の行為が犯罪になるとすれば、人は怖くて行動などできません。

例えば、お店で包丁を売る場合でも、この人がこれから人を殺すために包丁を買うんだと言うことを知っていながら、あえて売ればそれは殺人の幇助になります。

ここで、それを知らなくても殺人の幇助になる、ということになれば、いちいち詳細に確認しなければならないですし、仮に確認しても、巧妙に隠されてしまえばそれまでです。

そうなると、怖くて、商売などできたものではありません

このように、刑法の役割から考えれば、認識のある、つまり故意の行為だけを処罰すれば、基本的には必要にして十分です。ごくわずかな例外で、過失つまり不注意を処罰すればそれで足りる、ということになります。

逆に、認識がない行為、つまり結果的に犯罪ということがわかれば、後付けで処罰されてしまう、という制度を作ったとしても、それで溜飲を下げる人はいるかもしれませんが、刑法の役割からすると、社会を犯罪から守るとか、あるいは自由を保障するとか、と言う観点から全く関係がなく、有害であると言うことになります。

故意はしらを切れば否定されるというものではない

それでは、次に問題になってくるのが、「そうはいっても、認識がなければ処罰されない、ということになれば、しりませんでした、わからなかったと、しらを切ればそれで済むのではないか。それは不当ではないか。」ということです。

結論からいうと、そんなことありません。

認識つまり故意というのは、わざとやる、あるいはそうなっても構わないという認識、心理状態のことをいいます

そうなりますと、これは頭の中の事ですから、外から見てもわかりません。

では、実際にどのようにそれを認定するかというと、客観的な行動など、種々の事情から認定をしていくことになります

例えば覚せい剤の密輸であれば、高額な報酬を約束されていたとか依頼の状況とか、あるいは殺人の故意、つまり殺意であれば、武器を使ったとか使ってないとか使い方であるとか、攻撃をした場所とか、そういうことから認定することになります。

実務上も、単にしらをきればそれが通じるとか、そんな単純な話ではありません

まとめ

さて、この問題については、認識がなければ無罪放免か、という素朴な感情の問題、そして認識つまり故意に関する事実認定の方法など、複数のトピックが絡んできます。

複数の論点がある問題については、ネットでの議論というのは混迷しがちで、現に誤解に基づく批判や議論などが繰り広げられています。

疑似科学とか、インチキ治療法が蔓延するのと同様に、素朴な直感による結論と、専門分野における結論、というものは、必ずしも一致しません。

まずは、立ち止まって、問題をよく分解して考えることが大事ではないか、と思います。

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