刑事裁判において、被告人が嘘をついている、被告人の言い分が信用できない、ということを有罪の根拠のように論じられることがあります。

このような考え方は、明確に誤りです。 

刑事裁判のテーマは、合理的な疑いを挟まない程度に、有罪であることの証明があったか、あるいは、なかったか、という点です。被告人が信用できる人であるか、ということではありません。

被告人の言い分が信用できない、ということは、その被告人の弁解を排斥できる、つまりは被告人の言い分を理由に検察官の立証を排斥できない、というだけです。それにより、自動的に検察官の立証が補充されるとか、そういうことではありません。

ともすれば、被告人が信用できない、ということを有罪の根拠にしてしまいがちですが、それは、冤罪の原因になりかねない、危険な考え方だと思います。 

ただ、素朴な市民感情としては、そういう考え方をしてしまうこと、やむを得ないところもあります。
民事訴訟においても、請求原因事実と全く関係ないのに、ひたすら一方当事者の悪性を主張する、して欲しいという希望されることもありますが、これは、上記のような素朴な市民感情によるものではないか、と思っています。