形のない,サービスに対価を支払いたくない人には,弁護士やっているとよく遭遇します。
— 深澤諭史 (@fukazawas) August 14, 2019
でも労働人口の大部分を占める給与所得者って,「給料と引換えには労働という形のないサービス『だけ』」提供しているわけで。
製造業の従業員だって材料は勤務先の提供ですしね。
解っているのかな?(・∀・)
なぜか,給与所得者ほど,こういう考えを持つ人が多いのが謎です。
この考え方を貫徹すると,真っ先に,サラリーマンの給料は0円になるのですが。
(・∀・;)
コメント
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ここは欧米との違いで、あちらではレストランの給仕や宅配ピザの配達人にもチップ(本来の商品の対価とは別)を払います。
そもそも欧米でいうサービスとは、お金を払って得る対価なのです。
しかし、日本人が考えるサービスというのは無償奉仕のことで、お客様のために見返りを求めず尽くすべきということになり、金銭を求めるのは何事かと言われます。
さて、日本人でも無形の役務提供にお金を払うことに違和感を感じない分野があります。それはお坊さんの読経です。
これはおそらく、日本人にとって(形式的には対等な当事者であっても)僧侶が自分より偉い存在で「偉いお坊様にありがたいお経を唱えて頂いた。従ってその謝礼として御支払するのは当然。」と思っているからです。つまり、対等な契約当事者ではなく、自分より偉いお方にありがたいことをして頂いたから(報酬ではなく)謝礼を払うという感覚なのでしょう。
かつての弁護士もそれに近い感覚があって、弁護士の数が少なくてリスペクトされていた頃は「偉い弁護士先生にいろいろお世話になった。」と言って金銭を払うことに違和感を感じなかったのでしょう。しかし、弁護士の数が増えて希少価値がなくなり、一般人にとり弁護士が心情的にも対等な当事者となると、「形のない法律相談などにカネを払えるか」という感覚になるのかと思います。
最近は弁護士同士の競争が激化し、HPなどて「弁護士はサービス業だ」などと唱ってる弁護士が多いですが、そもそも「サービス」の意味を根本的に履き違えている日本人を相手に「サービス業だ」などと言うのは自らの首を絞めているとしか思えません。
以上、長文失礼しました。